ブル中野(ブルなかの、1968年1月8日 - )は、日本の元プロレスラー。米国のWWE世界女子王者を獲得した唯一の日本人[1]。他に世界王座獲得多数。日本の女子プロレスが絶頂を極めた1990年代、その頂点として君臨していた。
本名は青木 恵子(あおき けいこ、旧姓・中野)。埼玉県川口市出身。あだ名はブルちゃん、ブル様。引退後は小料理店を経営している。
[編集] プロレス
[編集] 前史
川口市立芝東中学校出身。学生時代はいじめに遭い、父親が強い子になるように無理矢理プロレスに入門させたが、バリバリのツッパリだったという説もあり(中野のブログ内で中学時代は校内を仕切っていたと発言している。)はっきりしていない。本人は母の影響でプロレスを見るのは好きだったものの、やるのは不本意だったという。当時母が好きだったレスラーはアントニオ猪木、当時はほとんどの者が女子のスター選手に憧れて入門していたが、中野は猪木に憧れていた。
[編集] 駆け出し時代
本名の中野恵子にて1983年にプロレスデビュー。女子プロレスラーとしては恵まれた身長(170cm)をしており、それが最後まで役に立った。運動神経は当初は鈍かったが、努力で向上していった。本名で活動していた時代には全日本ジュニア王座も獲得している。当時は太っていたために、当初の同団体の慣例通り悪役(ヒール)に回された。当時先輩レスラーから無視されていて、誰も相手にされてなかった所を以前から中野の事を注目していて気にかけていたダンプ松本が『私と一緒にやらないか。』と声をかけて本格的に世話するようになってからヒールになったとも言われている。
[編集] 悪役
[編集] 極悪同盟
中野がレスラーとしてブレイクしたのは、パンクをモチーフにした、わかりやすいヒールの外観にギミックチェンジした後、ダンプ松本、クレーン・ユウらと組んだヒール軍団 "極悪同盟" での活動である。特にクレーン・ユウ引退後、ダンプ松本とのタッグチームはベビーフェイスのクラッシュギャルズとの抗争が人気を博し(このタッグチームは当時アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでも再現されている)、トップレスラーとしての地位を確立した。しかし、もともとヒール役は中野本人が志望したものではなく、上役からの指示によるものであった。ヒール役に指名され、かつインパクトのある右側の髪を半分残した坊主頭(ただし、この髪型は獄門党の初期まで)にダンプから『私と一緒にやる気があるのなら今すぐに坊主頭にしろ。』と言われてダンプにバリカンで切り落とされた時はさすがに号泣したことを後に告白している。
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