2012年5月9日水曜日

ブル中野 - Wikipedia


ブル中野(ブルなかの、1968年1月8日 - )は、日本の元プロレスラー。米国のWWE世界女子王者を獲得した唯一の日本人[1]。他に世界王座獲得多数。日本の女子プロレスが絶頂を極めた1990年代、その頂点として君臨していた。

本名は青木 恵子(あおき けいこ、旧姓・中野)。埼玉県川口市出身。あだ名はブルちゃんブル様。引退後は小料理店を経営している。

[編集] プロレス

[編集] 前史

川口市立芝東中学校出身。学生時代はいじめに遭い、父親が強い子になるように無理矢理プロレスに入門させたが、バリバリのツッパリだったという説もあり(中野のブログ内で中学時代は校内を仕切っていたと発言している。)はっきりしていない。本人は母の影響でプロレスを見るのは好きだったものの、やるのは不本意だったという。当時母が好きだったレスラーはアントニオ猪木、当時はほとんどの者が女子のスター選手に憧れて入門していたが、中野は猪木に憧れていた。

[編集] 駆け出し時代

本名の中野恵子にて1983年にプロレスデビュー。女子プロレスラーとしては恵まれた身長(170cm)をしており、それが最後まで役に立った。運動神経は当初は鈍かったが、努力で向上していった。本名で活動していた時代には全日本ジュニア王座も獲得している。当時は太っていたために、当初の同団体の慣例通り悪役(ヒール)に回された。当時先輩レスラーから無視されていて、誰も相手にされてなかった所を以前から中野の事を注目していて気にかけていたダンプ松本が『私と一緒にやらないか。』と声をかけて本格的に世話するようになってからヒールになったとも言われている。

[編集] 悪役

[編集] 極悪同盟

中野がレスラーとしてブレイクしたのは、パンクをモチーフにした、わかりやすいヒールの外観にギミックチェンジした後、ダンプ松本、クレーン・ユウらと組んだヒール軍団 "極悪同盟" での活動である。特にクレーン・ユウ引退後、ダンプ松本とのタッグチームはベビーフェイスのクラッシュギャルズとの抗争が人気を博し(このタッグチームは当時アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでも再現されている)、トップレスラーとしての地位を確立した。しかし、もともとヒール役は中野本人が志望したものではなく、上役からの指示によるものであった。ヒール役に指名され、かつインパクトのある右側の髪を半分残した坊主頭(ただし、この髪型は獄門党の初期まで)にダンプから『私と一緒にやる気があるのなら今すぐに坊主頭にしろ。』と言われてダンプにバリカンで切り落とされた時はさすがに号泣したことを後に告白している。


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[編集] 獄門党

1988年にダンプ松本が一時引退した後は自己をリーダーとした "獄門党" を結成、グリズリー岩本、アジャ・コング、バイソン木村らの実力派を従えて引き続きヒールの頂点として活動。クラッシュギャルズ引退後の1990年1月4日に、後楽園ホールにて行われたWWWA世界シングル王座決定トーナメントで西脇充子を破って優勝[2]し、第37代王者に輝く。以後約3年間に渡りチャンピオンとして全日本女子プロレスの屋台骨を支え、その強さから "女帝" と呼ばれるようになる。

[編集] 善悪を超えたヒロインへ

その実力から、ヒールでありながら女子プロレス界の最高位を占めた。このとき、最終的にはベビーフェイスがヒールを倒すという従来の対立構造が崩れ、さらには獄門党から配下のアジャ・コング、バイソン木村の両名からなる「ジャングル・ジャック」の独立を許し、ヒール対ヒールというかつてなかった対立構図が団体の中心となった。また、女子プロレスではそれまでなかった金網デスマッチやチェーン・デスマッチの敢行、大柄・巨体のレスラーとしてありえないはずのムーンサルト・プレスやトペ・スイシーダといった宙を舞う華麗な空中殺法など、あらゆる意味で女子プロレスの歴史を塗り替える顕著な働きを見せた。特に、このころから始まった団体対抗戦(他団体トップ選手との試合)は盛り上がり、ここでは(善玉� ��役すべてを飛び越えて)会社を代表して臨んだ。

1990年11月14日に横浜文化体育館で行われたアジャ・コングとの金網デスマッチにて、金網ゲージの頂上から飛び降りて放ったギロチン・ドロップで、女子プロレスの枠を超えて一気にブレイクする。

1992年11月26日、川崎市体育館においてアジャ・コングに敗れてWWWA世界シングル王座を失った後、1993年からアメリカのWWF(現WWE)へ長期遠征し、ルナ・バションをマネージャーに女子戦線のトップヒールとしてアランドラ・ブレイズと抗争した[3]。WWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラーでもある[1]。WWEのRAW10周年のイベントの際にはショーン・マイケルズがスピーチで彼女について少し触れている。ジム・ロスはUnforgiven 2007の実況の中で、ベス・フェニックスについて「アメリカのブル中野」と評した。

1994年に日本に復帰し、神取忍と女子初のチェーンデスマッチを行い勝利を収めた。1996年に再びアメリカへ遠征。WCWにてメデューサらと抗争を繰り広げた。この頃から「お前らが結婚して、子供作っても、ブル中野のプロレスを見せてやる」と長々とマイクパフォーマンスをする等、1ヒールレスラーから、女子プロレス界のご意見番としてヒール、ベビーフェイスを越えた存在となっていく。

[編集] 引退

1997年に左靭帯2本を切り、プロレスラーを引退。引退後は渡米しゴルフ修行。第二の人生としてプロゴルファーを目指すが、プロにはなれず断念した。


頭の中で迅速な痛み

プロレスを辞めゴルフに専念する過程で、ダイエットを実施し、50kg減量した。このダイエットの体験を基に後にダイエット本(後述)を執筆した。テレビ番組『リングの魂』内の企画においても、ダイエットスクールを開講したことがある。2010年4月20日放送の『魔女たちの22時』で10年ぶりのテレビ出演を行った。ここで紹介したダイエット術は特殊なもので、ある「色」を部屋中に張り巡らし、心理的効果で食欲を減退させるというものであった。また、2010年2月14日にムエタイ選手の青木大輔と入籍したことを同番組内で発表した。

2010年7月23日、小料理店「中野のぶるちゃん」を開店した[4]。中野のぶるちゃんはカウンター20席の店舗であるが、往年のファンが集まり、客単価3000円ながら年商5000万円を誇る人気店となっている[4]

正式な引退試合や引退式は行っていなかったが、体重を再び現役当時の100kg台までに戻して中野の誕生日でもある2012年1月8日に東京ドームシティホールで『15年間プロレスから離れて、その後ゴルフで挫折してしまって、今までブル中野という名前を使うのも人前に出るのも嫌だった。 結婚を機にこれからは前向きになって生きていこうと思い、それまで引退試合をしていないのが心残りだったから。』との理由で引退セレモニーを行う。その後、再びダイエットして60kg台にするという[5]。但し怪我の為、自身の試合は行わず、セレモニーのみとなる。

引退興行後、アジャ・コング&バイソン木村組との髪切りマッチ(パートナーは井上京子)から21年となる1月11日、都内ホテルにて興行参加選手・関係者を招いて断髪式を実施。3月20日夜・スターダム後楽園大会におけるワールド・オブ・スターダム選手権試合、高橋奈苗(王者)vs里村明衣子(挑戦者)戦で立会人となることが発表された。

[編集] プロレスラーとしての得意技

そのプロレスセンスも相まって、現役時代は多彩な技を繰り出すことで知られていた。


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  • ギロチン・ドロップ - 中野の代名詞的な技であり、金網デスマッチにおける高さ4メートルの金網ゲージの頂上から放ったダイビング・ギロチン・ドロップは伝説となっている。また、この技のバリエーションとして、空中で回転しながら決める、回転式ギロチン・ドロップもある。
  • ムーンサルト・プレス - ギロチン・ドロップをはじめ大技を繰り出した後でなおフィニッシュに至らないときに繰り出す、ここ一番の必殺技。
  • ラリアット
  • DDT - 通常のものやリバース式のもののほかに、ブレーンバスターの体勢で相手をトップロープに据え付けてから落とすDDTも使用した。
  • アームサルト
  • ジャーマン・スープレックス - 若手時代に主に使用。柔軟な身体であったためホールド時にはしなやかなブリッジを描く隠れた名手であった。
  • ノーザンライト・スープレックス
  • バックドロップホールド
  • ブルズ・グランパス - 使用回数は少ないものの、これを使った試合ではギブアップを取っている。
  • ブルズ・アンヘリート - 脚はサソリ固めの要領で、振り向きつつ両腕を取って相手の体を吊り上げる技。主に次の技への繋ぎ技。
  • ブルズ・ポセイドン - 垂直落下式のリバーススープレックス。堀口元気がビーチブレイクとして同型の技を使用している。
  • 凶器攻撃(ヌンチャク) - 後期の試合では滅多に見せなくなったが、以前はよく使用していた。リング登場時のパフォーマンスとしても試合中の凶器としても正確無比の使い手であった。ダブルヌンチャクも使える。
  • リフトアップ - デビル雅美と共に、女子プロレスラーでは数少ない使い手の1人である。
  • パワーボム - 主にギロチン・ドロップの前の繋ぎ技として使用。

[編集] 獲得タイトル

全日本女子プロレス
WWF / WWE
CMLL

[編集] 入場テーマ曲

  • GENOCIDE (「BEAUTIFUL FIGHTERS」に収録)
  • 女帝〜Boss of the World〜 (「完全版全日本女子プロレス選手別テーマ曲集」に収録)

[編集] ブル中野引退興行

1997年に引退試合やセレモニーは行わずに引退発表し、プロレス界から離れた生活を送っていたが、2010年の結婚を機に嫌悪していたレスラー時代を振り返り、自身の44歳の誕生日に心残りであった引退試合の開催を発表した。


[編集] 概要

  • 参戦選手は、本人自ら各団体の興行を視察し、出場願を同封した封筒を選手へ手渡し交渉をした。結果として女子プロ団体はほぼ全て参加によるオールスター戦の様相となった。
  • 唯一の男子マッチは、海外時代に共に助けあった新崎人生、西村修、スペル・デルフィンと、今回の興業をサポートするZERO1勢によるタッグマッチが組まれた。
  • 本人は現役時代の100kgに増量して来場すると宣言。記者会見では夫の青木大輔から興行から半年後までに40kg減量することを求められ、ブルは誓約書へサインをして約束をした[6]
  • 興行では、現役選手による試合が8試合行われ、その後ブル本人と現役時代にライバルだったレスラーたちによる「引退試合」3試合と引退セレモニーが行われた。試合は現役時代の闘いを当時の映像とリング上の再現シーンを交えて行う試みがなされた[7]

[編集] 参加団体

[編集] 試合

  • 金網の青春 (自伝) フジテレビ出版(1991年12月)ISBN 4-594-00860-7
  • ブル中野のダイエット日記―19号サイズの私が9号サイズに(中野恵子名義での出版)(1998年6月)ISBN 4-89308-350-3
  • ブル中野の「ちがう自分」になる本―今日からあなたも変われる (中野恵子名義での出版)青春出版社(2003年3月) ISBN 4-413-03395-7

[編集] ドラマ

[編集] BB">映画

  • 「TOKYO POP」(1987年) - 映画撮影時に使用されたガウンは実際にWWWA世界選手権試合の入場時ガウンとしても利用された。
  • 引退後の2001年には、アメリカのプロレス誌、Wrestling Observer Newsletterが選出するWrestling Observer Newsletter殿堂入りを果たしている。
  • プロレスラーになる前の北斗晶はブル中野のファンで、私設のファンクラブを作ったことがある。プロでは先輩後輩、のちにライバル関係となった二人でもあるが、プライベートでは大の親友関係にあったという。
  • 全盛期では体重は100kgを超えたが、その過程でトレーニングや食事でも92kgから体重がなかなか増えず、男性ホルモン剤の注射などを行なって100kgに到達させた[8]。後にWWEへ遠征する際には体重を90kg台に落としている。
  • タレ目で愛嬌のある顔立ちから、新人時代の愛称は「パンダちゃん」と呼ばれていた。ヒールになってからのフェイスペイントはそのタレ目を隠すためである。ヒールレスラーであったが本来はとてもおっとりとした性格の持ち主で、ダンプやコンドルなどの極悪同盟のメンバーと同様に後輩の世話や面倒見などがとても良かったそうで後輩たちから慕われていた。[9]
  • 前述のダイエット実施後、テレビ番組の企画で「ダンプ松本と涙の再会」を果たした。しかし、全てのオファーを断らなかったため、都合3回、場所の異なる涙の再会を演じなければならなくなった。
  • 最初のダイエット中やプロゴルファーを目指して渡米していた当時は、友人等の全ての人間関係を断ち切って必死になって頑張っていたそうだが、師匠のダンプとは定期的に連絡を取り合って数年に一度は再会していたそうで、帰国してからの現在も親交が深くとても仲が良いという。
  • 獄門党以降からトレードマークになった逆立てヘアは、ロックバンドBUCK-TICKからヒントを得た。
  • 極悪同盟を引き継ぐ形で獄門党を組織して暫く後、マスコミからダンプについて聞かれた際に「あんな奴と一緒にするな。あいつはただ竹刀を振り回していただけだろ。あたしにはプロレスの心があるんだよ」と言い放った。その言葉に違わず、凶器に過剰に依存しない、技の凄みや説得力で勝負するヒール像を作り上げた功績は大きい。

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